橋本治戦記

橋本治さんの遺作にして未完の大作「人工島戦記」を、如何に読み終わらずに読み続けられるかチャレンジする日記です。

20220618「人工島戦記」第三十二章〜第三十九章、「橋本治『桃尻娘』論」

この一週間仕事が忙しくて、全く「人工島戦記」を手に取れていなかったので、やるべきことをひととおり終えた土曜日の夜、「今日こそ心おきなく読み耽るぞー!」とページを開いたものの、平日に我慢してた「あの本も読みたい」「この本も気になる」みたいな思いが噴き出してきちゃって、「人工島戦記」を数ページ読んでは、あっちの本も読み始めてみたりこっちの本も開いてみたりと、我ながら落ち着きないこと甚だしいなと呆れてます。

そんな感じで今読み終えたのが、「文學界」6月号に掲載の千木良悠子「小説を語る声は誰のものなのかー橋本治桃尻娘』論」。
約50ページにわたって、千木良さんの橋本治への愛と「桃尻娘」への思い入れが溢れまくっている評論でした。

6部にわたる桃尻娘サーガのあらすじを適宜紹介しつつ、当時の時代背景を説明したり橋本治の問題意識を解説したりと、橋本治そして「桃尻娘」のファンにはたまらない文章なんですが、一番のテーマはタイトルにもあるように、「桃尻娘」における語りの構造と語り手の問題を、橋本治が好きで影響も受けたと語っている久生十蘭谷崎潤一郎の作品を引用しながら読み解いていくというものです。

読まれた方ならご存知のことですが、「桃尻娘」は途中まで各章ごとに登場人物たちが話言葉の一人称モノローグでストーリーを語る構成になっていて、登場人物の性格やキャラクターに応じて、饒舌に喋り倒す章あり、「・・・」が無限に続く章ありといった感じなんですが、第4部になって突然「この小説の作者(かみさま)」が登場して三人称の「ですます調」小説に変わるんですよね。

千木良さんは、この「作者の声」というのは一体何なのか?と言う問いを立てたうえで、情景描写によって心理描写をする和歌の手法を説明したり、「桃尻娘」における情景描写の素晴らしさをいくつか挙げたりする流れのなかで、「作者の声」というのは「現代の日本語の話し言葉」を習い覚えた「日本文学史の声」なのではないかと論を進めています。

なるほど〜
確かに、小説に限らずどのジャンルにおいても、その作品の内部世界を超えたより大きなものが直接呼び込まれていると感じられる作品ってありますもんね。

そんなこと考えながら「橋本治桃尻娘』論」を読み終えて「人工島戦記」に戻りましたら、ちょうど第いち部の最終章である第三十八章の後半あたりで作者が頻繁に顔を出していて、「ここで何か感慨めいた一行を書き足しといた方が、小説らしくなるかなァ」なんてことを言っていたり。。。

この作者(かみさま)も、やがて橋本治という実作者を超えた存在として何かを語り始めるのか、そしてその結果「人工島」の世界に何を運び込んでくるのか、そんなことも意識しながら第に部以降も読み進めていこうと思います〜

#橋本治 #人工島戦記 #桃尻娘