橋本治戦記

橋本治さんの遺作にして未完の大作「人工島戦記」を、如何に読み終わらずに読み続けられるかチャレンジする日記です。

20220611「そして、みんなバカになった」

「人工島戦記」を読んでいて、九〇年代と〇〇年代以降で「バカ」の定義や内実、あるいは橋本治の「バカ」に対する評価に変化があったのかも?と思い、「そして、みんなバカになった」を読みました。

結論から言うと、本書に「バカ」の成り立ちについての記載はありましたが、直接に「バカ」の内容の変化への説明はありませんでした。

アテは外れましたが、本書も考えさせられることや教えられることが多く、楽しんで読み終えました。

まず、「バカ」の成り立ちに関して書かれた章からキーワード的なものを拾うと、こんな感じ。

・日本人はバカになったという話の前段階は一九八〇年、さらに七〇年代から
・お笑い芸人にバカだといじられて喜ぶ風潮
・大学のレジャー化、私大のテニスサークル
・マンガブームの市民権、オタク化、大人にならなくてもいいという雰囲気

ああ、見覚えのある景色、そして思い当たるフシだらけだ。。。

この流れと、日本が豊かになっていった流れとは、やはり相関があると述べたうえで、

豊かになっていくプロセスとバカになっていくプロセスはほぼ同じだが、バブル以降豊かになっていくプロセスがなくなりバカになっていく方面ばかり目立つようになった

〜と。

ん〜、豊かになることとバカ化は相関があるのに、豊かでなくなってもバカ化は止まらないというのはなんでなんでしょうね。。。?

豊かでなくなることに関しては、こう言う文章もあるんですね。

一九九一年から四年間、「ヤングサンデー」で『貧乏は正しい』という連載をしていました。自分としては、「日本の経済が破綻したんだから、週刊漫画雑誌の読者が貧乏であるのは当然」と思っていたんですね。つまり、経済が破綻したという自分たちの現状を肯定できなかったら、何もはじまらないだろうという意味をこめてこういうタイトルにしたんです。これには「貧乏は正しいけれど楽しくない」というオチもつくんですね。

ここで言われているのは、貧乏であるという現状を肯定することには何かをはじめられるポテンシャルがある、ということですよね?

この「現状認識」と「何かをはじめるというアクション」が、(楽しくないけど)バカ化と別のベクトルである、ということなんですかね?

ちょうど、上記引用の前には

バブルが弾けた一九九二年のころは、今もペンディングになっているけれども日本の地方都市をテーマにした長編小説『人工島戦記』を書くために某地方都市にいて、

と言う文もあったし、次は「人工島戦記」と並行して「貧乏は正しい」読み返してみようかな。

「バカ」の問題は他人事である前に、切実に自分ごとなので、しっかり考えなきゃです。

なんせ、こんな怖いことも橋本さん仰ってますし。。。

どこまでもバカになると、やっぱり人間滅びますからね。

#橋本治 #人工島戦記 #そしてみんなバカになった