橋本治戦記

橋本治さんの遺作にして未完の大作「人工島戦記」を、如何に読み終わらずに読み続けられるかチャレンジする日記です。

20220702「人工島戦記」第三十九章〜第六十章、「ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件」

6月の終わりから真夏の陽気、猛暑を通り過ぎて酷暑とでも言いたくなるような暑さで、こういう時、在宅ワークで良かったなぁと思うものの、一方で仕事が忙しいと夜中の1時2時過ぎまで作業できちゃうのは困ったものです。

そんなこんなで先週も朝から夜中まで仕事仕事の一週間だったもので、金曜の夜、「うう。。。本が読みたい、橋本治が読みたい。。。」と、2時回った頃合いから明け方近くまで、コーヒー飲み飲み「人工島戦記」を読んでました。

あまりの面白さに立ち止まるのを忘れて、第に部をほぼ一気に読んでしまい、「じっくりゆっくり寄り道しながら読むつもりなのに、いけないいけない」と無理矢理ページを閉じました。

読みながら、「ちょっと気になるな〜」とか「ああ、これは少し考えなきゃいけないぞ」と思ったことがいくつかあったので、忘れないうちにとりあえずメモしておいて、これからひとつずつ考えることにします。

第に部でメモしとかなきゃと思ったこと
・運動や活動の始まり方、パワポ化されていない時代の企画の始め方始まり方
・テツオの母の「女性活動」の記載における橋本治の皮肉たっぷり加減
・テツオの小学生の頃の思い出、登校拒否のヤマモリくんのこと
・テツオの母の旧姓が「カネダ」であることに意味があるか?
・テツオのパンフ作り、文章における文体と人称のこと

さて、上記一つずつ考えていこうかな、ではあるのですが、いまこれを書いている土曜日日曜日と二日間外出しっぱなしの出先なもので、「人工島戦記」が手元に無く(さすがにあのデカさ重さの本は持ち歩けないので。。。)、来週ゆっくり考えることにして、今日は今まで気になってたけど放置してた問題、「人工島戦記」の副題についてもメモしておこうかな、と。

この「人工島戦記」には「あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科」という副題が付いていて、橋本治読者ならすぐに「ふしきとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件」を思い出したと思うのですが、この二作品間にはなんらかのつながりがあるんだろうか?というのがずっと気になってまして。

「〜殺人事件」は1983年刊行で、自分は高校の頃、80年代後半に確か読んだのだったと記憶してますが、あの「ええっ?そんな理由で殺人事件を起こしたりするの?」という、ある意味衝撃的な真犯人とラストは覚えているものの、それ以外のディテイルはかなり記憶があやふや。。。

「〜殺人事件」読み直そうと思ったんですけど、「人工島戦記」をある程度読み進めてからでないと二作品間の関連ありなしについて判断できないかなと思って後回しにしてました。

とは言え、第に部もそろそろ読み終わりなので(主役たちはまだ大学の談話室でウダウダしてるばっかりで、反人工島活動全く始まる気配がしませんが)、「〜殺人事件」の再読始めました。

再読してすぐにいろいろ思い出しました、そうでした、そうでした!

「〜殺人事件」の主人公は田原高太郎で、「コンバンワ、タワラ・コータローです」って言うのがネタなんでしたね笑

#橋本治 #人工島戦記 #ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件