橋本治戦記

橋本治さんの遺作にして未完の大作「人工島戦記」を、如何に読み終わらずに読み続けられるかチャレンジする日記です。

20220609「人工島戦記」第二十一章〜第三十二章、「そして、みんなバカになった」

先日来、この「人工島戦記」のモデルと思われる福岡の人工島、福岡市アイランドシティに関わる資料類を閲覧してたらこれがなかなか面白くて、ついつい「人工島戦記」の方をほったらかしてしまいました。。。

本末転倒ですね笑

で、久々に「人工島戦記」の続きを読み始めたら、テツオとキイチのほかにも登場人物〜同じ大学の同級生たちシラン、カンノ、タナカ〜が増えたうえに、ヒロイン、になるのかな?イケイケギャル(って言葉も時代を感じますね)のモクレンも登場、ずいぶんと賑やかになってきました。

彼らは大学の談話室で、市の人工島計画が杜撰なのではないかとか、逆にそれを告発する雑誌にはちゃんとした根拠があるのかとか、そういった議論をしているのですが、その中で「(雑誌の根拠なんてなくてもいい、なぜなら)オレが納得したからだよ。オレはそんなにバカじゃないんじゃないかって自分では思ってたしー」というなかなかなセリフが出てきます。
(自分が「この子のことはイマイチわからん」と思っているキイチくんのセリフです。。。)

それに対して地の文は

ここにいるのは“デカルト”だ。
「我思う、故に我存り」が更にヤクザになると、「オレは分かった、モンクがあるか?」になる、「オレは信じる、モンクがあるか?モンクがあったら、オレがバカだということを合理的に証明してみろ」というのだから、この近代合理主義以後の“デカルト”はすごい。

と言っていて、ここでの橋本治は、「自分はバカじゃない!」から考えを進めるスタイルに対してあまり否定的ではないんだな〜と。

自分、橋本治の晩年の著作の中では「自分がバカだということを自覚するところから始まるんだ」というようなことを言われた記憶があって、橋本治の中で「バカ」に対する考え方が変わったのか、あるいは「バカ」の意味合いや内実が時代とともに変化したのか、いずれにしても、「やはりこれは橋本治のバカ関連本を並行して読まねば」と思い、「そして、みんなバカになった」を本棚から引っ張り出してきました。

買ってすぐにパラパラっと目は通したのですが、今回あらためてじっくり通読です。

それにしても、帯の「21世紀 バカの最終局面に入った日本へ」って、かなりのインパクトですけど、これがただの煽り文句じゃなく、こちらの実感として「確かに。。。」と思えちゃうあたりが、まさに「最終局面」なのかもですね。。。

#橋本治 #人工島戦記 #そしてみんなバカになった