橋本治戦記

橋本治さんの遺作にして未完の大作「人工島戦記」を、如何に読み終わらずに読み続けられるかチャレンジする日記です。

20220526「人工島戦記」第十一章〜第十四章

橋本治の本を読んでいる時はいつも、本文を目で追って内容を把握するのと並行して、自分と橋本治の対話、あるいは自分と自分の対話みたいなものが次から次へと頭の中で続いている感じがします。

この対話に意識をフォーカスしていったん本文追わずに立ち止まるのか、それとも対話は頭の中で流しながら本文追い続けるのかは、その時の気分の影響もあるとは思いつつ、多くは本文の文体の持つ速度みたいなものに依っているようです。

印象としては自分の場合、前期〜中期の作品は立ち止まらずに読み進むことを、後期の作品は立ち止まって頭の中の対話にフォーカスすることを促されていると感じることが多いように思います。

評論で言うと「三島由紀夫とはなにものだったのか」とか「小林秀雄の恵み」あたり、小説だと「巡礼」あたりが自分の中では、立ち止まれない/立ち止まるの境になっているような気がします。

そういう意味では、この「人工島戦記」、少なくとも今読んでいる第いち部は明らかに前期作品の文体の持つ速度で書かれているようで、いろんな対話が頭の中で続いているのに、本文追うことを立ち止まらせてくれない、グイグイと先へ先へ読み進めさせられてしまう感じです。

自分は小説を読むとき、文体が持つ速度とグルーヴに身を任せる悦楽を遠ざけられない性質なので(決して研究者にはなれないタイプ笑)、とりあえずはこのまま流れに乗って読み進めちゃおうかなと、今は思っています。

一方で、「人工島戦記」を読み終わらないように読み進めたくて始めたこのブログですから、頭の中で流れている対話や、意識の上に浮かんでは消え消えては浮かぶうたかたも、出来るだけ取りこぼさないように拾いたいので、メモ書きくらいは残しておこうかなと。

で、第七章「意識の低いバカ息子は自問する」に戻って、「バカ」について考えたことなど。

ここで橋本治は、主人公テツオに自分自身を「意識が低いバカ息子」と言わせているけれど、バカというならばテツオより、彼の母親、環境保護活動に肩入れしている、意識の高いヨシミをこそバカとして描いているのは明白で、同じ「バカ」にも「発展途上だから今はバカ」と「話が通じないバカ」とがあってーみたいなことを言ってたのはどの本だったっけ?と思うも思い出せず、後で「勉強ができなくても恥ずかしくない」「バカになったか、日本人」「知性の顚覆」あたりを読み返そうかなと思ったりしました。

と書きながら少し引っ掛かっているのは、橋本治がヨシミをバカにしながらもバカと言ってはいない点。
それってただ単に、こういうタイプを怒らせたら怖いからかもしれないけれど、もしかしたらそうではなくて、問題は彼女がバカかどうかという話ではなく、男と女が違うロジックで話しているから理解し合えないという点にあると言いたいのかもしれないなとか、だとしたら「あなたの苦手な彼女について」を再読すべきかもしれないな〜と思ってみたり。

#橋本治 #人工島戦記